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あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
島唄
横浜に住み、東京はおろか、日本全国のみならず世界的に活躍。 父・辰恕(たつじょ)の影響よりシマ唄を始める。元祖シマ民謡の第一人者として10代で才 能を開花、天才と称される。その後横浜に移住。1984年より10年連続で国立劇場の公演。 1990年にはニューヨークやロス、キューバにてコンサートを行うなど、ワールドワイドに活 躍。2002年の67歳でのメジャーデビュー時には、新聞、雑誌、テレビなど多くのメディアが 絶賛した。その圧倒的なパフォーマンスは世代や民族を超えて感動を与え、涙する観衆も多 いという。三味線のみならず、様々な楽器との共演を好み、シマ唄の後継者の育成にも力を 注ぐ。2005年:3rd アルバム「おぼくり」 島唄
名人と称されたその三味線の腕には定評があり、音色は美しく、 様々なシマ唄コンクールでも伴奏を担当。そんな彼の元でシマ唄を学んだ唄者が、第一線で 活躍する年代となりました。広い年齢層を対象とした、シマ唄教室「やまびこ会」を運営。 積極的に後継者の育成を行う。竪琴も演奏。参加オムニバス「あさばな」・「花染」・「朝 花節 総集編」・「敬老音頭」、ビデオ「奄美の海」三味線演奏 島唄
父親が唄者だったこともあり、一般的なシマ唄は小学生の時には ほとんどが歌えた、という。1958年より、武下和平の門下生として古仁屋で腕を磨く。1976 年には、キングレコードから全国版として、師匠との共演でレコードとテープを発売。名瀬 市の公民館などで講義を行っている。雄々しさと爽快さを伴った独特の唄者である。オムニ バス・カセットテープ「朝花節 総集編」 島唄
中学生より、シマ唄を唄い始める。彼女の哀調に溢れたシマ唄は 官能的と称され、こんなシマ唄があったなんて!と多くのファンをつかんでいる。1980年、 第2回「奄美民謡新人大会」新人賞受賞。1984年、第7回「日本民謡大賞」西日本優秀賞、鹿 児島県代表選出。現在は愛知県新舞子に移り住み、名古屋を中心に活動を行っている。「石 岡春代 傑作集」、「思いぬ かなしゃ」、オムニバス・カセットテープ「朝花節 総集編」 島唄
唄者だった父の影響から、幼少の頃より三味線に馴染む。小学生 の頃からシマ唄を歌い、湯湾の集落内で評判となる。1953年より横浜赤十字病院に勤めるが 、その後奄美に戻り本格的に三味線に取り組む。1969年、福島幸義プロデュースによる奄美 シマ唄の舞台でデビュー。男勝りの迫力で聞かせるヒギャ唄(大島南部地方の唄)は、力強い コブシ回しを伴っている。「大島紬ぬ織り清らさ」などの新作民謡を作曲したことでも知ら れている。1970年から名瀬市内で「石原三味線教室」を開いている。故・柳原緑に師事。「 しまきょらさ」 女性デュオ
シマ唄の中にあって、女性のデュオという珍しい演奏形態を取っ ています。徳之島という独特のシマ唄を受け継いでおり、2人の息のあった掛け合いを楽しむ ことができます。左:水本優果 右:内山さおりちなみにウナリ神とは奄美に伝わる2つの信仰のうちの1つ。姉妹(ウナリ)は兄弟(エヘリ)を 守る神だとする信仰で、ヨイスラ節にも唄われており、徳之島の昔話にも登場します。 島唄
主に奄美新民謡を歌っていた彼女は、シマ唄を 聞く環境にありながら、歌ったことは無かった。しかし相手に歌を伝える能力に長けていた 事から、シマ唄に挑戦。「ひろみの唄は シマ唄じゃなく歌謡曲だ!」と言う男性陣の声の上 がる中、「ひろみの唄を聴いてシマ唄に興味を持った」と、同性から支持を得た。こうして シマ唄に新境地が生まれたのだ。カセット・テープ「大島ひろみ傑作集」、オムニバス・カ セットテープ「朝花節 総集編」 ![]() 島唄
ハト(指)笛を鳴らしながら渋く哀愁ある声で唄い、独特なリズ ム感で三味線を弾き、足にはバチで太鼓を叩いたという島徳郎さんは、昭和20年代に福島幸 義さんと共に活躍した唄者でした。次女は、兵庫で民謡酒場「奄美」を経営する石川伊都子 さんです。カセット・テープ「勝島徳郎 傑作集」、オムニバス・カセット・テープ「朝花節 総集編」 島唄ユニット
代表:樺山浩三父親の三線を聞き、母親も琉舞の名取という南国文化の中で育つ。1985年 朝崎郁恵に師事。 その後、1990年の朝崎郁恵のカーネギー・ホール、ロスアンゼルス公演参加を始め多数の氏 の公演や海外公演を果たす。2002年5月 徳之島のシマ唄ユニットである、カムィを結成。同 年10月 NHKテレビに出演。同年11月 「渋谷区制70周年記念」の代々木公園野外ステージに出 演。2003年2月 東京プリンスホテル関東鹿児島県人会連合大会に出演。以後、様々な各地の 物産展やイベント、郷友会などで演奏。 民謡・バンド
田 畑 哲彦(サンシヌ・唄)、牧 美也子(唄・太鼓)、山下 太志(ベース・ギター)、山下 浩明(ドラム)、福田 成美(キーボード) 1996年結成。与論島出身。主に、与論島で活動。1996年9月、田畑哲彦と仲間達で「かりゆし バンド」結成。与論島に残るシマ唄、沖縄民謡、オリジナル曲等を三線と太鼓を中心とした 独自のサウンドで演奏。連日連夜、民謡酒場かりゆしにて島人(シマンチュ)、旅人(タビンチ ュ)と共に楽しいライブを展開。2005年、結成10周年を記念して与論島で初の大型コンサート を開催。奄美でありながら琉球文化の影響を受けた、他に類を見ない与論民謡を残すべく活 動中。 「生まり島」(アルバム)、「あしばんやー」(LIVEアルバム)、「愛だんど」(アルバム)、「 うだるみでーびる」(アルバム)、BEST ALBUM 島唄
喜界島一番の三味線弾きという祖父の血筋か、幼少期から歌が大 好きだったという。そんな折り、シマ唄への魅力に取り付かれ、自分でも歌いたいと感じ始め、唄と三味線を習 う。鹿児島県のみならず、本土へも奄美シマ唄の魅力を伝授するべく日々活動中。 島唄
その容姿からは想像も出来ないソフトでつややかな歌声が特徴的 な唄者。出身地でもある、徳之島のシマ唄を得意とした。「川元栄昇 傑作集」カセット・テ ープ、「徳之島のしまうた」ビデオ 島唄
島を愛し、シマ唄を愛した唄者。奄美の復帰前、娯楽の乏しかっ た群島を南政五郎と共に巡業を行ない、人々に気力や活力を与えた。シマ唄には不思議な力 を秘めた伝統文化だ。生きて行くに必要なもの、全てがあるのだ。「上村藤枝 傑作集」、「 朝花節 総集編」 島唄
幼少の頃から坪山豊に師事。1991年(平成3年)奄美民謡大賞・新 人賞受賞(最年少記録)ここで奄美の原石が輝いた。2000年野村万之丞と共に欧州公演を行 なう。2001年鹿児島県の KTS 主催民謡大会で、3年連続青年の部優勝。名人位を獲得。彼が 歌い始めると、会場からはため息が漏れる。きめ細かな歌唱法は、人々に安らぎを与えた。 文句なく人気、実力共にナンバー1の若手シマ唄者である。現在は、いずこかの釣具勤務と の噂。「綾蝶の唄(あやはぶらのうた)」、オムニバス「夜ネヤ島ンチュリスペクチュ」、 「朝花節 総集編」、ビデオ「島唄レクチュアコンサート」ほか。唄者貴島康男の挑戦 奄美 進化系バンド「ピンポンズ参上!」(監督 平田明) 島唄
徳之島の若手実力派唄者。幼少のころから父の影響で三味線を始 め、福祉施設に勤務するかたわら、島唄を唄い広めるため活動中。島内はもとより内地での イベントにも多数出演している実力の持ち主。2006年10月に第一弾CD「SANSHIRU(三味線) 」を発表。 島唄
幼少の頃から歌を歌うのが大好きで、音楽三昧な少年時代を送る。17歳で歌手を目指し、来阪したが断念。しかし、37歳の時に奄美の友人から1枚の島唄CDを渡されたことがきっかけで、今まで何の興味も示さなかった島唄に心が動く。それからは、三味線を常に持ち歩き、島唄三昧の毎日を送るようになる。島唄を唄い始めて1年程した頃から、ライブ出演への声が掛かりだし、2007年には「奄美民謡大賞」に初出場し、優秀賞を受賞。2007年10月島唄グループ「9ら 9ら(きゅらきゅら)」を結成。最近は、奈良TVの音楽祭、神戸市主催の琉球際、奄美の郷土会、居酒屋でのライブ活動を精力的に行う。 ![]() 島唄漫談バンド
平成10年8月 、先輩の結婚披露宴の余興でウケた事からスタート。伝統的シマ唄を後継すべく、漫談とい う相反する技を織り交ぜ、奄美のライブハウス、ASIVI を中心に島の祭りなど様々なイベン トに出演。しかもサーモンとガーリックの2人は、普段は役所に勤務している、とのこと。 ASIVIの代表、ケンゴ氏とイベント『夜ネヤ、シマンチュ、リスペクチュ』を主催。平成14年 の東京編と翌15年の奄美パークでのイベントは、早くも伝説に。平成17年12月、待望のアル バム「ハブマンショー」リリース。買ってね。 ※サーモン&ガーリック with アニョ余興がメインのサーモン&ガーリックに対し、こちらは三味線、コンガ、ベースのトリオで まじめに音楽しています。 島唄
1925年(大正14年)筑前琵琶の免状取得。1928年(昭和3年)奄美 のシマ唄が初めて公共の電波、NHKラジオで放送された。彼の唄だ。未だ奄美が全国的に認知 されていない時期の、歴史的な出来事であった。彼のシマ唄を聞いた人々は、「ここに奄美 があった」と口々に言ったそうだ。その後1930年、1932年、1953年、1963年と出演。1951年( 昭和26年)と1961年(昭和36年)、文部省主催芸術祭にて鹿児島県代表として出演した。 島唄
祖父・赤坊にシマ唄を師事。幼少の頃に視力を失った彼は、竪琴 を奏で、三味線を弾いて奄美、沖縄の各島を廻っていた。その為、しばしば“放浪の唄者” と呼ばれた。「あがれゆぬはる加那」、「黒声」、「路傍の芸」 島唄
唄遊びが唯一の娯楽だったという昭和初期。父親のシマ唄や唄遊 びと共に育つ。1965年頃より独学でシマ唄を習う。仕事先にて、祝い事の場での唄遊びに参 加したことが切っ掛けであった。幼い頃から触れていたので自然に身に付いていたのか、父 親譲りの血統もあったのか、唄者としてめきめきと上達。奄美シマ唄全盛期を支えた天才と 呼ばれた。1977年 南海日々新聞社主催の「奄美民謡新人大会」にて準優勝を獲得。1978年 同上大会にて新人賞受賞。1980年 「奄美民謡大賞」と改名された同上大会にて、栄ある 大賞を受賞した。作品集「黒潮の唄-ちょうきくじょ-」 ![]() 島唄
主に、関西で活動。昭和30年代に、突如出現。シマ唄を芸術にま で高めたと言われ、現在、彼の影響を請けていない唄者は一人もいないと言われる伝説の唄 者。百年に一人と言われた美声と、ドラマチックな唄い方は山田米三と福島幸義という唄者 の手によって世に送り出された。現在は武下流の奄美シマ唄を、尼崎にて展開中。「武下和 平 傑作集」、「武下和平 第1集」、「武下和平 第2集」、オムニバス・カセットテープ「 朝花節 総集編」 島唄
1998年、中村瑞希や山下聖子、川畑さおり、永志保といった現在 活躍中の唄者の最初の録音というシマ唄オムニバスアルバム、奄美シマ唄紀行2『花染』に参 加。当時の唄者達の平均年齢は16歳。まだ中、高生であり、初々しいシマ唄を聞くことがで きる。この作品に、黒だんど節と塩道長浜節にて参加した。 島唄
1998年、奄美を代表するJABARA RECORDS から1枚のオムニバスア ルバムが発売された。 奄美シマ唄紀行『あさばな』。この作品は名人・清正芳計の唄と三線 をはじめ、喜界島の少女たちの唄や奇跡の復活を遂げた奄美琴など、様々な土地のシマ唄の 現在を収録した作品として大きな話題を呼んだ。今作と、現在活躍中の女性唄者達の最初の 録音という奄美シマ唄紀行2『花染』に連続して参加。余談ながら『花染』収録時の唄者の平 均年齢は16歳!であった。 島唄
唄ジマ笠利に生まれ、父親も唄好きという環境に育った彼は、浜 川昇の三味線を機に故・福島幸義に師事。その後、伊集院リキ、坪山豊の門を叩いた。昭和 54年、日本テレビ主催の民謡大会にてシマ唄を歌い日本一に。当時を知る人なら、あの時の 感動を忘れる人はいないだろう。そして彼のトークを交えたシマ唄ライブを聞いて欲しい。 舌好調である。カセットテープ「築地俊造 傑作集」、オムニバス・カセットテープ「朝花節 総集編」 島唄
ご存知新民謡、ワイド節、綾はぶらを作り、築地俊造、西和美、 貴島康男などの師匠としても知られる唄者。しかし唄者はすべて仲間だから、先生ではない 。オジチャンである。本業は奄美にただ一人の舟大工。デビューの実況録音奄美民謡大会で 、坪山豊の名は一躍シマ唄界に轟いた。彼の唄に会場は鳴り止まぬ拍手を送った。地底から 沸き上がるような哀歓の声。それは島の土と潮の香りを彷彿させ、シマンチュを魅了せずに はいられない。翌年早くもレコードを発売。以来、とても表記しきれないほどの各賞受賞歴 と、過去3人の民謡日本一を育てた経歴を持つ。昭和47年実況録音奄美民謡大会出場 42歳の デビュー。「奄美の唄あしび」ほか。 島唄
第9回奄美民謡大賞新人賞、KTS賞を受賞。第12回日本民謡大賞・ 鹿児島県大会・壮年の部1位。平成元年度 第12回日本民謡大賞 全国大会 日本民謡大賞 受賞。第13回日本民謡大賞 ゲスト出演。平成10年より笠利町中央公民館において島唄教室 を開講し、シマ唄の継承活動を行っている。「野茶坊抒情」、「紬の女(ひと)」、オムニバ ス・カセットテープ「朝花節 総集編」、「敬老音頭」、ビデオ「当原ミツヨ第1集/野茶坊 抒情」、「島唄レクチュアコンサート」 島唄
幼少のころからシマ唄にふれて育ち、中学生になると、そのたぐい稀なる才能を発揮し、ヒギャ唄といわれる奄美大島南部に伝わるシマ唄を数多く弾きこなす。諸鈍の浜辺で一日中三味線を弾いている彼の姿は、観光名所にもなるほど地元では有名な存在だった。彼の唄には「なちかしゃ」が宿っていると、年配からの支持も厚い。 ![]() 島唄
奄美在住のベテラン唄者。名瀬で三味線教室も営む。米田みのり を始め、彼女が育てた唄者も多い。彼女のシマ唄を聞くと、背筋がシャン!とするのだ。 島唄
幼少より母や祖父とシマ唄を歌う。4歳からピアノを習い始め、中 学校に進級後は安田宝英にシマ唄を師事。2002年:奄美民謡大賞・新人賞受賞。2003年:奄 美民謡大賞・優秀賞受賞。現在、喜界島の中学校で音楽の教鞭を執る。豊かな表現力ととも に、人懐こい笑顔が特徴的で皆に好かれる人気者である。「太陽加那志の唄(ティダカナシ )」 島唄
力強く張りのある歌声で、リスナーに元気を与える唄者。瀬戸内 町篠川郵便局時代に、渡哲一にシマ唄を師事。現在は徳之島に在住。伝統の武下和平節と徳 之島のシマ唄を伝えるため、公民館講座の講師を務めたりと広く活躍中。 島唄
阿世知幸雄の三味線教室「やまびこ会」の講師として知られる唄 者。癖のない、教則的な歌唱法が生徒たちに好評です。平成3年民謡大賞 優秀賞受賞。平成5 年同新人賞。平成6年同大賞 受賞。「中田和子 傑作集」、オムニバス「あさばな」、「アマ ミシマウタ」糸繰り節にて参加。 島唄
小 学生時代から、地元の民謡大会で数多くの賞を受賞。第19回(平成10年)、奄美民謡大賞で新 人賞を受賞。現在、笠利幼稚園に先生として勤務。吉原まりかとのユニット「マリカミズキ 」ではシマ唄の枠を超えての活躍が光る。「アイランドガール」、「うたの果実」ほかマリカミズキとしても活動中。 島唄
オリジナルポップスバンドのヴォーカルを経て、ソロで再出発。 ソロ活動中に朝崎郁恵と出会い、シマ唄の魅力に取り付かれる。現在、朝崎郁恵の下でシマ 唄勉強中。 島唄
幼い頃、義父のシマ唄を聴きその魅力に目覚める。昭和56年頃よ り、坪山豊に師事。昭和58年:名瀬市に郷土料理店「かずみ」開店。昭和59年:奄美民謡大 賞新人賞受賞。昭和60年:奄美民謡大賞受賞。平成16年:映画「アダン」挿入歌を歌い、同 作品にも出演。情念を感じる彼女のシマ唄は、どんな黒糖焼酎よりも心に染みる、との話。 毎週月曜日、「かずみ」にて“かずみと唄あしび”好評開催中。「西和美の世界」、カセッ トテープ「西和美 傑作集」、オムニバス・カセットテープ「朝花節 総集編」、ビデオ「奄 美の謡-ひぎゃ唄の世界-池田嘉成・西和美」 島唄
近年のシマ唄ではなく、昔母が歌っていたシマ唄。人によっては 、子守唄とも受け取られるだろう。彼女のシマ唄には、そんな懐かしい感じが漂うのだ。息 子の和美との共演作が、これまた懐かしいカセットテープとして発表されているが、入手困 難と思われる。「昇喜代子・和美 選曲集」カセットテープ ![]() 島唄
島唄
不世出の唄者、武下和平に詩吟の妙を伝授したと言われ 、現在のシマ唄のトップランナー、朝崎郁恵の師匠。大きな抑揚とドラマチックな唄い方が 特徴であった。オムニバス「南大島編」 島唄
笠利(カサン)唄(北部大島の系列)を歌う唄者。1998年(平成10年) 奄美民謡大賞を「長朝花節」にて受賞。「福山幸司 傑作集」、オムニバス「南大島編」 ![]() 島唄
現在東京の現役大学生(英米語学科)。小さい時から奄美の島唄を嗜み、全国各地で島唄を披露している。将来は、島唄のみならずオリジナリティーのあるPOPSの世界にも挑みたいという。 InterFM(76.1MHz)で毎週火曜日25:50-26:00のHotWaveでDJを担当。 島唄
高校時代より、洋楽に触発されギターを弾き始めるが、偶然聞いた島唄がきっかけで、卒業後は三味線を手にするようになる。奄美でも、最もディープと言われる宇検村の石原久子に師事を仰ぎ、一本芯の通った力強い唄を磨いていった。また、フィールドワークも多数行い、個性的な唄と歌詞を身につけていく。奄美大島をホームに活動しているが、内地でのイベントにも多数参加。現在、最も注目されている若手唄者の一人である。 2005年、「奄美民謡大賞」で新人賞を受賞。2006年2月、奄美の若きアーティストを集めたコンピレーションCD「マジムン」に参加。 同年10月、初の単独での作品となる「星降ル島ヌ唄」を発売。 島唄
とにかく上手い。思わず唸らずにはいられない唄者。小学生の頃 、母親から「祖母が歌うシマ唄に三味線を付けてほしい」といわれシマ唄教室に通いはじめ る。1997年(平成9年)民謡民舞少年少女大会入賞。1998年(平成10年)鹿児島放送主催民謡 大会にて少年の部3連覇。1999年(平成11年)「名人位」を若干16歳で与えられた。2001年 (平成13年)奄美民謡大賞・青年の部新人賞受賞。2002年(平成14年)奄美民謡大賞・大賞を 受賞。18歳の快挙である。他シマ唄大会にて多くの賞を受賞。自らピアノ、エレクトーン、 テナーサックスと三味線を演奏。現在は名瀬で、保育士として働いている。「牧岡奈美 選曲 集」、「うふくんでーた」、オムニバス「あさばな」、アマミシマウタ」いそ加那節にて参 加。 島唄
東京在住で活動する奄美シマ唄の唄者。里アンナがシマ唄を唄っ ていた時代の相方であり、現在もレコーデングやライブに参加。シマ唄に関してはかなりの博学で、ほとんどの作品の解説が出来たり、島での民謡大賞でも 出ずっぱりで、三線の伴奏やチヂンを叩いていた、と言うエピソードもあるほど。2003年に 松元良作、山下聖子と新宿の「朝花」で出会い、以後、共に活動する機会も多い。良作曰く 「博文の三線が一番唄いやすい」とその腕も確か。 島唄
山下聖子と共に東京を拠点に活動する若手唄者。実力者である。 2002年、奄美民謡大賞青年の部、特別賞受賞。 島唄
薩摩藩に虐げられたという歴史を持つ徳之島の唄、「徳之島節」 で民謡界に彗星の如く登場。平成12年に日本民謡協会の徳之島松山会支部を結成。現在「松 山京子島唄・三味線教室」を開設。後継者の指導に余念がない。1998年(平成9年)日本民謡民 舞奄美連合大会にて総合優勝。1998年(平成10年)同全国大会にて内閣総理大臣賞受賞。1999 年(平成11年)日本民謡フェスティバル‘99にてグランプリ受賞。「魂の叫び 徳之島節」 島唄
母が歌っていたシマ唄。自身に転機が訪れたのは、神戸を訪れた 時。乗っていた車の中で聞いた上村藤江のシマ唄のテープを聴きその魅力に取り付かれ、彼 女を師と仰ぎ手解きを受ける。昭和50年代に、南海日日新聞社主催の「奄美民謡大賞」にて 多くの賞を受賞。平成11年、第20回「奄美民謡大賞」の大賞受賞。現在は名瀬市で、割烹「 吟亭」を経営する傍ら、シマ唄を歌っています。 島唄
2001年より活動開始。三味線 ・タナカアツシと太鼓・奈良大介は1999年より朝崎郁恵の伴奏演奏者として活躍。 そして 2001年より、2人のみで活動するようになったユニットが「マブリ(魂)」です。 名前の由 来は、魂を込めてシマ唄を歌っています、ということから。伝統的なシマ唄や八月踊りや、 時にはオリジナル曲も演奏。五反田『結ま-る』、阿佐ヶ谷『グルくん』では定期的にライブ を行っております。 島唄デュオ
2001年結成。奄美大島北部・笠利出身の吉原マリカと中村瑞希により結成されたユニット。 奄美シマ唄の可能性を探る音楽実験的プロジェクト。笠利地方に伝わるシマ唄や八月踊り唄 などをテーマにジャンルを越えたミュージシャンと交流。特にセカンドアルバム「シマウタ ブンブン」は、バリのルーツ系ディスコとして知られる竹ガムラン・アンサンブル=ジョゲ ッ・ブンブンとの野外セッションである。「ソングフルーツ」、「シマウタブンブン」、「 ルミネッサンス」 島唄
周知の唄者を母に持つ南政五郎は、幼少より唄あしびの場に自然 に出入りし、シマ唄をマスターしていった。デビュー名瀬の八千代館で、25歳だった。アメ リカ軍の管理下に置かれた戦後の奄美。活気はなく娯楽も乏しかった昭和20年代前半の奄美 群島を回り、シマ唄で人々に感動を与えた。1951年(昭和26年)初のレコーディング。1961 年(昭和36年)文部省主催・全国民族芸能大会参加1975年(昭和50年)郷土民族部門・南海 文化賞受賞。「南政五郎傑作集」、オムニバス「朝花節 総集編」、「敬老音頭」 島唄
幼き頃より母親のシマ唄を聞いて育った彼女は、小学5年生より坪 山豊に師事。現在は龍郷町役場に勤務。自然が大好きな彼女の作品は奄美の大自然の中で録 音され、アカショービンやアカヒゲも特別ゲストとして参加しています。1992年:奄美民謡 大賞・新人賞受賞。2001年:日本民謡協会・民謡民舞全国大会 青年の部・準優勝。「より より」 島唄
シマ唄の町、笠利町喜瀬にて伝説の唄者、南政五郎、上村藤枝、 山田フデらの唄あしびの中で育ち、6歳で名瀬市の大正寺で初舞台を踏む。なぐるさ(懐かし さ・高ぶり)というコブシが良く回る特徴あるシマ唄と、優れた三線で島内外で「まぼろしの 唄者」と賞賛されている。奄美の2大地域唄の笠利唄、東方唄の双方をこなし、また文化芸能 などの知識も深い。 2002年、芸歴50周年を記念したライブを開催。多くの唄者が祝福に駆け つけた。奄美や内地の各地で森田三味線教室を開催。若者の育成に励んでいる。1998年 「唄 あしび・聖なる空間」カセットテープ、1999年「島サンシンによる奄美島唄の世界」CD、 2000年『新民謡ふるさと紀行「南から」』CD 島唄
現在は兵庫県尼崎市に住み、奄美民謡芸能保存会幹事長、関西奄 美会文化部長、奄美民謡森民和会会主として活躍中。自然や生活の中から生まれた奄美のシ マ唄は貴重な文化であり、財産でもある。いつまでも唄い続けたい、と語っている。「森俊 光の故郷思い(しまうむい)」 島唄
どんな唄でも自分のものとして唄う、器用さをもった稀有な唄者 。そんな彼女の囃子が、元ちとせの初期作品にて聞く事ができる。1981年(昭和56年)奄美 民謡大賞・新人賞受賞。1991年(平成03年)奄美民謡大賞・大賞受賞。「唄ぬ 花や咲きゅり 」、ビデオ「奄美の謡-かさん唄の世界- -泊忠重・森山ユリ子-」 ![]() 島唄
喜界島で民謡教室を営む彼は、「花ジマ」と呼ばれるシマ唄がさ かんな地域の出身。シマ唄が大好きだった、という両親の影響下にあり、特に武下和平の歌 を好んでいた。農機具の販売で喜界島に渡ったのが切っ掛けでそのまま住みつき、シマ唄を 教えるようになったのだ。オムニバス「あさばな」、「アマミシマウタ」徳之島あさばな節 にて参加。 島唄
内地暮らしが長かったせいもあり、デビューは遅かったが父と祖 母が唄者という影響もあり、小学校を卒業する頃にはほとんどのシマ唄をマスターしていた 、という。多才であり、シマ唄だけではなく歌謡曲も得意とした。1983年(昭和58年)奄美 民謡大賞 新人賞受賞。同年・第8回全九州・中国民謡選手権鹿児島大会2位。1984年(昭和 59年)奄美民謡大賞受賞。 島唄
幼い頃から島唄と自然に囲まれて育った彼女は、中学2年から名人 ・阿世知幸雄のもとで本格的に島唄に取り組んだ。1998年、2001年の奄美民謡大賞にて優秀 賞受賞。2000年2月に開催された「シマ唄選手権大会」(日本民謡協会)青年の部で優勝。 2005年、奄美民謡大賞青年の部、最優秀賞受賞。歌っているときは、普段からは想像も出来 ない荒ぶる気を感じさせます。奄美大島の次世代を担う女性の歌い手として、期待が高まっ ています。「姉妹たちの唄が聴こえる」、「花染」オムニバス。 島唄
奄美大島北部のシマ唄スタイルはカサン唄と呼ばれるが、それを 本格的に伝えるという貴重な唄者。 2006年の今年、90歳を迎える奄美の唄者としては最高齢であろうお方でもある。そんな彼は 、15歳で大阪に移り住んだ後に開拓団として満州に入植したという経緯を持つ。そして敗戦 。奄美のシマ唄は生活や文化に密接であり、楽しみも少なかった時代ということもあり、彼 は島に戻り、農業を行いながらシマ唄を歌った。1985年(昭和60年)、「平瀬マンカイ」が 重要無形民俗文化財の指定を受ける。この時保存会長を務めていた、秋名集落の神霊を招き 寄せる祭祀の事である。しなやかに伸びる高音域の歌声は、若き唄者の憧れでもある。 島唄
出身地の屋鈍は、今では訪れる人も少なくなったが、以前はカツ オ漁などがさかんだった美しい海岸を持つ小さな集落だ。彼のシマ唄は、そんな風景に溶け 込むように響くのだ。昭和30年「奄美民謡保存会」を結成し、「島唄大会」、「島唄新人大 会」をスタート。セントラル楽器や名瀬中央公民館で、三味線や島唄教室講師を務めた。昭 和42年、東京国立劇場で「日本の民謡」出演。昭和47年にはNHKテレビ出演。広く、シマ唄の 普及や継承に努めた。カセットテープ「吉永武英 傑作集」、オムニバス・カセット・テープ 「朝花節 総集編」 島唄
小学生の頃からシマ唄を歌い始め、1998年に開催された第4回「あ さばな節」大会・少年の部で優勝。2001年、中村瑞希とマリカミズキを結成。現在まで3枚の アルバムを発表。陰影のあるメロディ、裏声を多用し、奄美ならではの万葉コトバの数々と 、シマ唄のルーツを継承しながらも民族楽器を取り入れるなど、摩訶不思議な独自の世界観 を提示したソロアルバム、「kana」が話題に。2004年の第25回「奄美民謡大賞」大会で最優 秀賞を受賞。 島唄
中学1年より、永井しずのに師事。2004年5月に開かれた奄美民謡 大賞少年の部で注目を浴びる。この時に最優秀賞を獲得したのだが、中学3年生ということで 今後の成長が楽しみだ。 情感豊かな唄が大きな魅力である。 ![]() 島唄・ポップス
本名 中野律紀。小さな頃からシマ唄が大好きで、初舞台は4歳の とき。「第13回日本民謡大賞」のグランプリを15歳で獲得。民謡日本一の最年少記録である 。 1993年アルバム「風の声」でデビュー。翌年より、毎年のように海外フェス等に参加。 シマ唄からポップスまで自在にこなす歌姫。RIKKI の歌は世代や国境を越え、世界中に木霊 している。2005年アルバム「結ぬ島へ-リッキの奄美島唄-」 ![]() |
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