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安田竜馬・インタビュー

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沖縄三線より弦が細い、奄美三味線ならではの音色を取り入れた、独自の「島」サウンドが好評を博している安田竜馬。現在は、東京で精力的にライブ活動を行い、昨年から自身のレギュラーステージも獲得。成人式をあげたばかりの、弱冠20歳の若き歌い手に、独自の「奄美ポップス」を目指すに至った経緯から、今後の大きな夢まで余すところなく語ってもらった。


「早く上京したくてたまらなかった。島は小さいし、なにをするにも枠がある。
早く外の世界が見たかった―」

―よろしくお願いします。それでは、まず上京のきっかけから聞かせてください。

竜馬:上京したのは、高校を卒業した2006年ですね。音楽の勉強をしに専門学校に通うためでした。「歌を歌いたい、オレも東京でやってやるぞ!」と思って。

 

安田竜馬インタビュー

―地元・徳之島でも、音楽活動はしていたんですか?

竜馬:お祭りやイベントのときに歌わせてもらってました。1人で弾き語りをしたり、2人で、バンドで、色々な形態でやっていました。カバー曲を歌うことが多かったですね。

 

―昨年の秋に、赤坂でライブを拝見させていただきました。沖縄の色が入ってるように聞こえましたが。

竜馬:あの頃はそうだったかもしれませんね。今年で学校卒業なんですけど、学校に通っていた2年間は「とりあえずイロイロやってみようか」と思いまして。沖縄音楽も好きでやってました。
徳之島には琉球音階のシマ唄が残っていたり、僕は小学校の時にエイサーをやってたりしたので、それが出ているのかもしれませんね。

 

―徳之島と琉球の音楽のつながりを、どのように感じますか。

竜馬:徳之島のシマ唄は、奄美大島ほど裏声を多用する唄い方ではなく、基本的にキーが低いんです。僕の隣の集落には、民謡『エラブ百合の花』の元になった『花徳(けどく)の枕節』という唄があるんですけど、琉球色を強く感じますね。そういった琉球音階のシマ唄も残ってるので、徳之島は奄美と琉球の中間かな、と思います。
最近の僕たちくらいの若い世代だと、学校で『島人の宝』を合唱したり、エイサーを踊ったり、懐かしさを感じるのは沖縄の音楽だったりするんですよね。僕たちの世代は、文化に捉われていないというか、大きな目で見ているんじゃないかと思いますね。

 

―竜馬くんはシマ唄は歌うのでしょうか?

竜馬:『行きゅんにゃ加那』は唄えますよ。はっきり覚えてないけど…学校で習ったのかな?
新民謡の『ワイド節』とか『徳之島小唄』はバッチリです。そういう唄は、ばぁちゃんたちが喜ぶので唄ったりしてましたね。
でも、あまり得意ではありません。というか、あまりシマ唄は好きじゃなかったです(苦笑)。
実際に唄者がステージで唄っているのを聴いた記憶がないので、そういったイメージではないんですよね。おばぁが何気なく唄っていたり、おじぃが酔っぱらって唄い出すのがシマ唄…というイメージがあって。うちのおじぃは「足三味線」って言って、足で三味線を弾く真似をするんですよ(笑)。

 

――へぇ〜、おもしろいですね(笑)。

竜馬:「唄者が唄うシマ唄」ではなく、おじぃたちが唄う「日常にあるシマ唄」という感覚でした。だから、そういったシマ唄にはあまり興味が無かったんです。
自分の島に関しても、あまり好きじゃなかったです。早く上京したくてたまらなかった。島は小さいし、なにをするにも枠がある。早く外の世界が見たかったです。

 

―それが今では「奄美ポップス」を目指すという。これはどのような心境の変化でしょうか?

竜馬:変化は…ありまくりです!大逆転ですよ!
上京して1ヶ月経った頃に高校の同窓会があったんですけど、そこで禎一馬くんが歌ってくれたんです。高校生のとき、一度彼の歌を聴いたことがあったので、「あ、あの時の人だ」と思って聴きはじめたんですが…。“なちかしゃ”でしたね。家に帰って、涙が止まらなかったです。
その頃、すごいホームシックだったんですよ。電車に乗ったり、友達の唄を聴いただけで「島に帰りたい」って思っていたんです。でもこの同窓会がきっかけで、「あぁ、ここにも島があるだ」って感じたんです。これなら自分でもできるって、一気にスイッチが入りましたね。

 

―当時はどのような曲を歌っていたのですか?

竜馬:オリジナルや沖縄ポップスなんかを歌っていました。それから、少しだけ民謡も歌いました。

 

―三味線を弾くようになったのは、いつ頃からなのでしょうか?

竜馬:小さい頃に遊びで触ったことはありましたが、ちゃんと弾けるようになったのは高校生の頃です。おばぁが公民館で拾ってきた三味線が家にあって、おばぁも習いたてだったから一緒に習おうって。
最初に弾けるようになったのが『徳之島小唄』です。でもあまり興味がなかったので、それっきりでしたけどね。 


安田竜馬ライブ風景―現在、毎月沖縄料理店の「海人(うみんちゅ)」で歌ってますが、こちらはどの様な経緯があったのでしょうか?

竜馬:一昨年末くらいから、そろそろ学校にも慣れてきたし、ライブ活動をしようかなと思って、演奏させてくれるお店を探してたんです。
そしたら、昨年の2月のある日、お姉ちゃんから突然電話がかかってきたんです。「海人」っていうお店で、店長とお前の話をしてるから今すぐ来いって。お姉ちゃんは島のことが大好きだったので、沖縄とか奄美のお店を結構知っていたんです。いきなり呼び出されたから、電車賃もなくて(笑)。お姉ちゃんからお金を借りて改札を出て、急いでお店に向かいました。
その時は、初めてだったのにお客さんも盛り上がってくれて、店長には来年からライブをしないかって誘われました。それが僕がお金を取ってやった最初のステージでしたね。



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