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ジョー奥田ジョー奥田公式ホームページ

奄美を始めとする、様々な場所で自然音を録音し、数々のネイチャーサウンド作品を発表しながら"音"で自然の美しさを伝えている、音楽プロデューサー、自然音録音家のジョー奥田。
初めて訪れた奄美大島で、独特の文化、美しい自然に深い感銘を受け、フィールド録音された自然音は、「AMAMI」として作品となった。ジョー奥田と奄美のかかわりは年々深まっており、各地で開催されるイベントでサウンドプロデューサーとして参加するほか、「地球探検隊」と手を組んでの『奄美大島自然音録音ツアー』の計画も進められている。
朝崎郁恵との共演でも知られるピアニスト高橋全、元チェッカーズの藤井尚之と組んだユニット「The Nature Sound Orchestra(NSO)」のメンバーとしても、ネイチャーサウンドを使った新たな手法で演奏に参加するなど、様々な分野で活躍するジョー奥田さんに奄美の魅力やフィールドレコーディングの魅力を語ってもらった。



InterviewPage 


"魂の故郷"奄美との出会い

ジョーさん―奥田さんと奄美とのかかわりはとても深いですが、奄美大島と出会ったきっかけは何だったのですか?

ずいぶん遡るんですよ。25、6年前になりますかね。田中一村さんが亡くなられて、数年経ったころです。当時、僕の姉が鹿児島に住んでいまして、一村さんの絵画展に連れて行ってもらったことがあったので、今でも覚えています。そのとき見た、一村さんの作品を、一目見て感銘を受けまして、大好きになったんです。画集を買って、L.A.に持ち帰りいつも眺めていました。自分には真似できないけれど、一村さんの生き方に憧れましてね。それが奄美大島との初めての出会いかもしれませんね。
それから何年か経ち、自然音の録音先を探していたとき、喜納昌吉さんとお会いする機会がありました。喜納さんには、沖縄と奄美の関係性を中心にお話しを伺ったのですが、琉球アーチに属する島々(※南西諸島の島々、特に奄美大島から南部は琉球文化に属し、島尾敏雄が提唱した「琉球弧」、「ヤポネシア」などという呼び方もある)において、本当の意味での平和を目指すのなら、奄美大島は非常に重要なポイントだと聞かされたんです。そのお話がきっかけで、再び僕のなかに奄美が蘇ってきたんですね。同時期に元ちとせさんがデビューしたのですが、彼女の歌を聞いて大変ショックを受けたことも、僕が奄美に行くことを決断させたきっかけとなったのでしょう。

 

 

ジョー奥田

ジョー奥田(Joe Okuda)
1954年10月23日生。自然音録音家、ネイチャーサウンドアーティスト。音楽プロデューサー、音響空間プロデューサー。人間の頭を模ったバイノーラルマイクと、デジタルレコーダーにて世界各地の自然音を録音。録音した素材を元に、新しい音の世界をクリエートするネイチャーサウンドアーティスト。
80年に渡米。ロサンゼルスの音楽学校を卒業後、プロドラマーとして数多くのレコーディングに参加。その後スタジオ音楽制作、録音技術を学び、数々のアーティストの作品をプロデュース。やがて自然環境音楽に興味を広げ、アメリカ国立公園シリーズのアドバイザーを経て、日本国立公園シリーズ第一弾「Mt.Fuji」を発表。02年、自らのレーベル「クリアライト」を設立し、第一作目の「川へ帰ろう〜四万十川〜」を発表。05年12月、ジェマティカ・レコーズより「美しき地球の記憶」シリーズとして、「AMAMI」、「Nagi」、「Canoe Trip」の3タイトルを同時にリリース。06年4月、「YAKUSHIMA」発表。6月、ピアノ・高橋全、サックス・藤井尚之と共に音楽ユニット、The Nature Sound Orchestraを結成。時代の『目撃者』として、残された美しい自然音の記録を新しい世代へと伝えていく。

―それから奄美で自然音の録音を開始されたのですね?

最初に訪れた、02年の1月30日から始めました。奄美に行ってからは、本当に色々な方に出会い、助けられました。
写真家の常田守さんには奄美の森の入り方を教えていただきましたね。実際に森の中に連れて行ってもらったんですけど、良いきっかけとなりました。僕はそれまで基本的に夜の森には独りでは行かないことにしていたんですよ。単純に怖いからなんです。夜の森には森の神様がいて、人間が踏み入れてはいけない世界だと思っていましたから。僕は基本的に一人でないと録音はしないんですけど、できれば今でも入りたくないですね(笑)。
それから写真家の濱田康作さんと、「あまみ庵」(奄美の貴重な資料などが揃う島の書店)の森本さんは忘れられませんね。森本さんとの出会いが、全てのスタートのように思うんです。沢山の方々を紹介していただいて、その時の旅はまるで夢を見ているような、映画を見ているような、神様に導かれている感覚ですね。

 

―島では「神の引き合わせ」などと例えられますね。奥田さんの場合は、どんな"お引き合わせ"があったんでしょうか?
L.A.で奄美出身者の会(南カリフォルニア奄美会)を訪ね、事前に島の方々を紹介してもらったおかげで、島に着いた日にはもう、ガイドの安田ひろぞうさんとも会っていました。
それから、商店街のアーケードで、岩切さんに髪を切ってもらいました。岩切さんが「何をしに奄美へ?」なんて聞くもんですから「録音に来たんです」と応え『川へ帰ろう 〜四万十川〜』のCDをお渡ししたんです。すると、「ここをちょっと先に行ったところにある『あまみ庵』の森本さんを訪ねたらいいよ」と教えられたんです。
「あまみ庵」では、奄美に関する本をいくつか買ったのですが、その中の1冊が「うたばうたゆん」(朝崎郁恵のCD付写真集。写真:浜田康作)だったんです。
その翌日、時差ボケのせいで早い時間に目覚めてしまって、何気なくその写真集に付いていたCDを聞いてみたんです。そしたらもう、ぶっとんじゃって。ショックで録音なんか辞めて帰ろうと思ったの。だって、自分が作ろうと思っていたものよりも、さらに良いものに出会っちゃったもんだから。
それで、その日の午前中に森本さんのところに行って「帰ろうと思う」と切り出したんですよ。そしたら「この先に浜田康作さんの事務所があるから、帰る前に寄ってみたら?」と言われたので、今度は浜田写真館に行ってみたんです。浜田さんに『四万十川』のCDを聞いてもらっていると、「奥田さん、この後時間ありますか。写真を届ける用事があるので、ご一緒しませんか?」って事になって。
それから、島中の色んな所に連れていってもらって、結局、丸一日一緒にいましたね。それで、別れ際になって、浜田さんにこう言われたんです。
「私も朝崎さんも奄美の人間です。でも、奥田さんは島の外の人間です。そういう人にしか分からない奄美の魅力があると思う。だから、頑張ってください」って。すごく励まされたんですよ。もう、涙が出そうになっちゃって。それで気を取り直して・・・その辺の話をすると、キリがないですね。

 

CD amami―『AMAMI』の完成までに、どのくらいの時間を要したのですか?
『AMAMI』の場合は、それまで手がけてきた作品とは違い大変苦労しましたね。
初めての奄美は、結局3週間くらい滞在しました。
初めて奄美に着いた夜だったかな、飲み屋で、「クッカルー(リュウキュウアカショウビン)の声を聞くと、島に帰ってきたなあって気がする」なんて話を聞いたんですよ。その鳥がすごく気になったのですが、その時は2月「その渡り鳥はこの季節はいない」と言われたので、一度LAに戻って、またその年の4月の終わりに訪れたんです。そのときも、また3週間位いましたね。また、その年は11月にも行きましたよ。
ですから時間数では、100時間くらいの録音をしましたね。それから作品にまとめるのにさらに2年かかりました。こういったスタイルで作品を作った事がなかったので、自分にとって、とても大きな意味を持つ作品になりましたね。

 

joe okuda―随分と時間を要したんですね?

というのは、『四万十川』やL.A.で出した『Mt.FUJI』は、音楽があって、自然音が入る、という構成で、音楽の占める割合が高かったんですよ。当初は『Amami』もそういう風に作るつもりだったんだけど、「うたばうたゆん」に出会ってしまい、それを超えるのは無理だと思っちゃった。
高橋全という島の外の人間が島の音楽を理解して、完成度の高い作品を作ってしまっていましたから。音楽を使うとしても、どうしていいのか分からなくなってしまったんです。
そこで、高橋さんの力を借りようと思って、ちょうど朝崎さんと安東ウメ子さんが奄美パークで共演したときに彼を訪ねて、「これに音楽をつけて欲しい」って奄美の森の音を渡したんです。
しばらく経ってから「これに音楽は付けられません。僕は、このままがいいと思います」と彼から返事をもらいました。「えっ、自然音のままでいいの?」って凄くびっくりしましたよ。
正直、誰もこんな良い音で奄美の自然音を録音していないだろうという自信と、一般の人が、この自然音だけの作品を聴いて理解してくれるだろうか、という不安が半分ずつだったんです。
だから、音楽を入れようと思っていたのですが、高橋さんに「大丈夫だよ」と言われたことが自信につながり、それまで自分の頭の中になかったイメージが膨らみだしました。
それでも、行ったり来たりと迷いながら、気が付くと2年も経ってしまいましたね。

 

―それがどのようにして完成まで至ったのでしょうか?

実は、朝崎郁恵さんの唄を使わせてもらおうと思ってから、まとまるまで早かったですね。
僕は「うたばうたゆん」の中では『今ぬ風雲』が大好きなんです。奄美のほとんどの唄がマイナー調で悲しい中、あれは数少ない明るさを持っている曲だからです。その唄を作品のクライマックスで使いたいと思いました。一度そのイメージが浮かぶと、次は、そのクライマックスまでをどう聴かせていくのかということを考え出し、全体像がはっきりとしていきました。
あれは自分が奄美に込めた想いがぎゅっと凝縮されたクライマックスなんです。

 

―全体を通して聞くと、まるで映画のサントラみたいに聞こえますね。

最初から最後まで深く聴かないと分からない部分なんですけど、あれはストーリーになっているんです。「奄美」との出会いによって、アーティストとしてのあり方や、アプローチの仕方、自分の作品のスタイルがとてもはっきりしたと思います。『AMAMI』は、いろんな意味で成長できた作品だったし、島が僕にくれた贈物ですね。僕にとって奄美はとても特別な場所なんです。

里さんバイノーラルマイクのフリッツ君
人間の頭と顔の形をした模型の、左右にゴム製の耳がつき、鼓膜の位置に高感度マイクが備えられた特殊なマイク。模型の表面を人間の肌と同じ音の反射具合にすることにより、正確に人間の聴覚を再現できる。
ジョー奥田さんが愛用するものはドイツのノイマン社のKU−100というモデルで、"フリッツ" という名前がついている。”フリッツ”とは、日本でいうところの”太郎”にあたる、ドイツで最もポピュラーな名前なのだそうだ。

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