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米軍攻撃で沈没の貨客船「嘉義丸」の慰霊祭

 

嘉義丸慰霊祭奄美市笠利町で5月26日に、戦時中に米軍の魚雷攻撃を受けて奄美大島沖に沈んだ貨客船「嘉義丸」の犠牲者の慰霊祭が行われ、唄者・朝崎郁恵が鎮魂歌『嘉義丸のうた』をささげた。

 

「嘉義丸」は、大阪〜沖縄間を結んでいた貨客船で、第二次世界大戦中の1943年5月26日午前10時30分、今から65年前に奄美大島の笠利沖でアメリカ軍の潜水艦の魚雷攻撃をうけて沈没し、321人の命が犠牲となった。しかし当時この事実は、日本に不利な戦局を伝えると、国民にはほとんど知られることがなかった。

 

今回の慰霊祭は、「嘉義丸」が沈没した場所に近いといわれる、笠利町の用岬には関係者らおよそ50人が参列。
朝崎郁恵が沖に向って鎮魂のための『嘉義丸のうた』をささげると、会場からはすすり泣きの声がもれた。

 

慰霊祭の後、朝崎郁恵は「悲しみがこみあげ、途中何度も喉がつまりそうになりましたが、こうして父親の作った歌を歌い継いでいくことは私の使命。お亡くなりになった方々の“絶対戦争をしてはいけないよ”という叫びを代弁していかなければいけないと思っています。こうして慰霊祭で鎮魂歌を歌う機会が持てたことを感謝しています。」と話していた。

 


『嘉義丸のうた』(朝崎郁恵CD「おぼくり」に収録) 
生存者の治療にあたっていた鍼灸師である朝崎郁恵の父・辰恕(たつじょ)さんが犠牲者の体験談をもとに作った鎮魂歌。
加計呂麻島の人の間で伝えられていたこの歌を、朝崎郁恵が記憶を辿り62年ぶりに復活させたことで、嘉義丸の事実が注目され始め、TVやラジオで「嘉義丸のうた」に関する番組も次々と製作された。(NHK世紀を刻んだ歌「十九の春〜島人の哀しみが刻まれた唄」など)
またこの歌は、『十九の春』と同じルーツを持つ唄としても注目される。


 ■朝崎郁恵HP
http://www.asazakiikue.com/


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